BUCK-TICK HISTORY


BUCK-TICKの歴史

激しく私情にまみれたコメント付きですみません(^^;
間違っている所を見つけたら、お手数ですがどうぞご一報くださいませm(__)m




2000/12/13 東名阪ツアー『TOUR ONE LIFE,ONE DEATH』大阪厚生年金会館よりスタート。全3公演。 アルバム『ONE LIFE,ONE DEATH』関連のツアーラスト3連発。 最終日の武道館は、BUCK-TICKとしては初めてバックスタンドにお客さんを入れると言うステージレイアウトで、「もうこんなことは二度と無いかも」と思ったら、どちらの席に座るかめちゃくちゃ悩んだライブでした(笑) そして同じくこの武道館ライブはVIDEO&DVD&CDになる上にwowowでも放送という、嬉しい企画だらけ!!(>▽<) ありがとう!BMGファンハウス!!!
2000/12/04 『Climax Together』のDVDがマスターテープの不良により発売中止。 これめちゃくちゃうそ臭い〜〜〜(><) と、私が不信感まんまんになった事件。 だって普通発売決定する前にマスターテープのチェックってしますよねぇ?(-"-;) は〜〜、本当にでもがっかりなんだわ・・・。
2000/10/21 FCイベント『FISH TANKERS ONLY』渋谷公会堂にて開催。 ライブハウスツアーの合間のスペシャルライブでしたが、本編はその前の『PHANTOM TOUR』と同じ、というある意味めちゃくちゃBUCK-TICKさんらしいサービス精神なし!のライブでした(苦笑) でもあっちゃんのハッピーバースデーが聞けたからいいか、と思ってしまうしょせんただのあっちゃんファンの私・・・(苦笑)
2000/10/15 ライブハウスツアー『OTHER PHANTOM TOUR』Zepp SENDAIよりスタート。全7公演。 ホールツアーとは打って変わってノリの良い選曲のライブで、BUCK-TICKにしては珍しく単純に楽しい〜〜と思えるようなツアーでした。 そんなBUCK-TICKに対して賛否両論あるでしょうが、私としてはたまにはこう言うライブも見せてくれたほうが、こっちの神経が磨り減らなくていいわ〜(苦笑)とか思っちゃいました(^^;)
2000/09/21 ホールツアー『PHANTOM TOUR』市川市文化会館よりスタート。全8公演。 アルバム発売翌日からのツアーということで、初日はメンバー観客ともになんだかちょっと緊張した雰囲気の中でのライブでしたが、d・t・dのツアーに比べたらぜんぜんマシですよねぇ(苦笑)
2000/09/20 アルバム『ONE LIFE, ONE DEATH』発売。 待望のにうアルバム!!(>▽<)ノ このアルバムは珍しく初回特典とか購入特典企画てんこもりで、BMGファンハウス&各レコード店さんに感謝!という感じでした。私個人としては特に新星堂さんの期間限定スペシャルHP企画が嬉しかったです(^-^)<見たことないひとはこっそりメールくだされば・・・( ̄ー ̄)にやり
2000/09/06 シングル『GLAMOROUS』発売。 BMGファンハウスに移籍してのはじめてのリリースアイテム。しかし2曲しか入ってなくてもマキシって言うのか・・・(苦笑)
2000/06/?? BMGファンハウスに移籍。 オフィシャルHPでこの件についての正式なインフォメが発表されるまでは「ひょっとしてばくちくインディーズになっちゃうかも・・・(-"-;)」という不安があっただけに、喜びもひとしおでした。でもファンハウスっていうのもちょっと意外だったっす。(だって小田和正とかと一緒ですよ?(笑)
2000/03/29 マーキュリー在籍時全曲集『97BT99』発売。 なんだかちょっと物悲しい気持ちになった一枚。契約不履行にならないように、っていうのがミエミエじゃないですか?<これってひょっとして言っちゃいけないことなのかな?(^^;)
1999/11/26 PV集『DREAM BOX』発売。 今回は私が買いに行ったお店には平積みになって入荷されてました。やっぱ、NEWアイテムの扱いはこうじゃなきゃね!熱心なファンじゃない人は気づかないもんね!
1999/10/20 マキシ・シングル『ミウ』発売。 発売前に街頭ビジョンで何十秒かPVが流れるというFCのインフォメーションを聞いて行きましたよ、原宿まで! 健気だな〜〜〜、俺ってば(笑) 他にもばくちくファンらしき人々をちらほらとみかけて嬉しくなったりとかしたのもいい思い出(笑) でも最初の放送の時には「誰の何というタイトルの曲」というクレジットがまったくでなくってちょっと憤慨したりもしましたけどね(苦笑)
1999/08/23 PIGとのジョイント(?)ツアー「Energy Void TOUR」スタート。東京、大阪、札幌、福岡の各Zeppにて開催。 怒涛のライブハウスツアー。私事で大阪は参加できなかったのですが、全体的に良いテンションのライブツアーという印象。とりあえずレイモンドが凄かった・・・(笑) あっちゃんもあの半分で良いから露出してくれればいいのに・・・(苦笑)
1999/08/19 赤坂BLITZでこの年唯一の単独ライブ。 チケット取りが大変だったっす〜〜(泣) ぴあに気合いを入れて並んで、ちょ〜〜〜ギリギリやっと入れた、という感じ。 やっぱし唯一の単独ライブ(しかもライブハウス(-w-;)は狭き門ですな。 ところでこのライブのころに放送されたフジTV系のロケットパンチという番組がすごかったっすね!!(笑) あっちゃんの「今井ちゃんはあまえたちゃん♪」発言はでるわ、今井さんは「お手」をするわ!!! ああ、ステキな番組だった・・・(遠い目) あの番組がもう無いのは淋しいかぎりっす(泣)
1999/08/08 マリリン・マンソン等とのイベント「BEAUTIFUL MONSTERS TOUR」に出演。(富士急ハイランド・コニファーフォレスト) もう二度と行きたくない〜〜(泣)と思っていた場所でのイベントライブ。しかもオールスタンディング!!! でも久々の生ばくちく様に合う為に、体調を調えて参加(泣笑)詳しくはライブレポを見てやって下さい(笑)
1999/07/14 マキシ・シングル『BRAN-NEWLOVER』発売。 久々のNEW音源で、嬉しさ倍増!!(>▽<)ノ PVはあっちゃんがめちゃめちゃイケてて、これまたナイス!! でもあっちゃんファン以外にはあんまり嬉しくない作りかも・・・と思うようなPVでしたけどね(^_^;) ちなみにこのBNLの発売時期に出たケーブルTVの番組では、あっちゃんがなんかヘンだったと評判(笑) どうやら酔っ払っていたみたいですけどね(苦笑)
1999/05/01 hideのトリビュートアルバム「hide TRIBUTE SPIRITS」発売。「DOUBT '99」にて参加。 BUCK-TICKがBUCK-TICK以外の曲を(たぶん)初めて音源に残した記念すべき作品!だとわたしは思っているんですけど・・・(^^;)) アルバム全体のクオリティーもさる事ながら、やっぱBUCK-TICKは他のアーティストと比べても格好いいぜ〜〜(>▽<)ノ と、実感した作品でした。
1999/03/20 ビクター時代のベスト盤「BT」発売。 メンバーが全くノータッチというアルバム(^^; でも選曲は割といいと思うんですけどね。このアルバムのリリースにあわせてあっちゃんのお誕生日(3月7日)に新聞に全面広告が載ったらしいっす。
1998/08/12 TOUR 「SEXTREAM LINER」5/8,9日本武道館公演の模様を収録したライブビデオ『SWEET STRANGE LIVE FILM』(オリコン初登場6位)、初のライブアルバム『SWEET STRANGE LIVE DISC』(オリコン初登場17位)発売。 ビデオのほうは発売日当日に入手できなかった人が続出!もっと初回分作っとけ!マー○ュリー(怒)ということがありました。
1998/05/13 マキシ・シングル『月世界』発売。 この曲がアニソンに使われると聞いた瞬間は、「私もがんばって漫画家になるぅぅぅ!そしてアニメ化してもらってBUCK-TICKに唄歌ってもらうぅぅぅぅ(><)」と、大騒ぎしてしまいました…(*-_-*)なれないって、漫画家なんて…。
1998/02/04 TOUR「SEXTREAM LINER」スタート。 このツアーの赤坂BRITZライブの時にあっちゃんがお誕生日をむかえて、あっちゃんが自分で「HAPPY BIRTHDAY TO ME」と言っていたのが印象深いです。(あとはアンコールの時にFANが合唱した「HAPPY BIRTHDAY」が「HAPPY BIRTHDAY DEAR "あっちゃん"♪」だったのも笑える(^-^))
1997/12/26,27 「SEXTREAM LINER(零型)」を日本武道館にて行う。 雑誌取材時には黒髪だったのに、ライブの時にはきっちり金髪にして来る今井さん。…ステキだ…(*-.-*)
1997/12/10 移籍第1弾アルバム『SEXY STREAM LINER』発売。
1997/11/12 移籍第1弾シングル『ヒロイン』発売。 このプロモの時、今井さんは頭に2本溝が入っている上に、その溝に模様まで描いてあってびっくり( ゜_゜;)しました。どうあってもみんなを驚かせずにはいられないらしい…(^^;
1997/03/01 櫻井敦司復活。昨年延期になっていたTOURは「BUCK-TICK TOUR'97RED ROOM 2097」とタイトルを改め、全国4ヶ所、10本のライブを行う。 このときのあっちゃん!!!このときのあっちゃんは、もう、この世の物とは思えないほど美しかったです(><)/ふつう大きな病気をすると一気に老け込んだりするので、ツアー一日目の名古屋を見るまですっごく心配だったのですが、本人を見てそんな心配なんてどこかに吹っ飛んでしまいました!
1997/01/?? レコード会社をマーキュリー・ミュージック・エンタテインメントに移籍。
1996/12/?? 櫻井敦司、急病のため入院。自宅療養のため2日より予定していた「BUCK-TICK CHAOS After dark」TOURは、翌年3月からに延期。 はじめて「あっちゃんが入院した」と聞いた時は大した事も無いんだろうと思って笑っちゃったんですが、実は後から聞いたら結構命にも関わるような状況だったと聞いてぞっとしました。元気になってくれてよかった…(T▽T)。
1996/07/04 「BUCK-TICK TOUR 1996 CHAOS」TOUR開始。 この時のツアーのパンフは、「メンバーの日常」という感じで、とってもよかったです♪またこういうパンフ出してくれないかなぁ。
1996/06/21 アルバム『COSMOS』発売。オリコン初登場第11位。 この当時あっちゃんがラジオの公開放送に2回ほど出演したので、がんばって見に行ってしまいました…(*-_-*)格好よかった…。
1996/05/22 シングル『キャンディ』発売。オリコン初登場第6位。 この時のプロモはグニュウ・ツールのVo.古川ともさんが監督。今井さんはこの時だけドレッド・ヘアーにしていましたが、某市川氏に「こ汚いしtr○みたい」といわれて即座にストレートに戻していました(^-^;
1996/02/?? 新事務所「BANKER」設立。 これとほぼ同時期にFCも「BUCK-TICK CLUB」から「FISH TANK」に移行。その時に抜けになっていた会員番号の整理が行われたようで、私の会員番号が4万番台から4千番台になって愕然としました(TーT)
1995/12/01 アルバム『カタログ1987-1995』発売。オリコン初登場第8位。ビデオ『カタログ1987-1995』発売。オリコン初登場第3位。 このビデオの発売時、「鼓動」のプロモだけ新しいものに作り替えられていて、まばたきしないあっちゃんにびっくり。でもどうせ作り替えるなら「見えないものを〜」を作り替えてくれたほうが…=○()゚O゚)あうっ!
1995/09/21 シングル『見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ』発売。オリコン初登場第15位。
1995/05/16 「Somewhere Nowhere 1995」TOUR開始。 会社を辞めるつもりで狂ったようにライブに行きまくったツアー。(しかし、いまだにその会社にいる(爆))5月14日のBRITZライブ、武道館二日目、沖縄にはISSAYさんも登場。
1995/05/15 アルバム『Six/Nine』発売。オリコン初登場第1位。 「楽園」の中でコーランを使っていた為イスラム教徒側からクレームがつき、「紫」(初回盤)と「通常盤」のアルバムおよび「鼓動」のシングルが回収され、コーランの部分を外して再発売されました。(再発売後のアルバムのケースは「赤」)
1995/05/14 ライブ「Six/Nine'95.5.14」を新宿LIQUID Roomにて行う。(当日発売で完売) この日会場で購入した『S/N』のアルバムが、発売日前日だというのにもう初回盤じゃなくって大ショック!後日別の所で初回盤も購入しました(泣)(の上に、回収騒ぎの後の再発売版も持っているので合計S/Nは3枚ももっているですよ…)
1995/04/21 シングル『鼓動』発売。オリコン初登場第6位。
1995/04/17 フィルム・ギグ「新作完全再生劇場版」を全国7ヶ所で行う。 『楽園』はこの後のテレビ放送でも放送されなかったのでこの時しか見れなかったのですが、ちょっともやのかかったような画面の中を、メンバーが手を繋いで光る物体(多分ライト)の回りを「かごめかごめ」のようにぐるぐる回る、という映像でした。
1995/03/24 3ヶ月連続リリース第1段シングル『唄』発売。オリコン初登場第4位。 この時にM○テーションの公開放送を見に行ったのですが、テ○朝の観覧客に対する扱いがすっごく悪くってむかついた覚えが…(なんか私ってむかついてばっかり(苦笑))
1994/08/24 初回完全限定アルバム『シェイプレス』発売。オリコン初登場第5位。 写真集に怒り狂った覚えしか…(苦笑)だって、写真集よりも当時の雑誌に載っていた写真の方がぜんぜんよかったんですもの…。
この年の終わりごろにあっちゃん断髪。
1994/08/09 LUNA SEA,SOFT BALLETと共にイベント「LSD」を全国5ヶ所で行う。40,000人を動員。 この時イエモンとラルクが一ヵ所ずつ(大阪と札幌)だけ共演していたんですが、すっかり大きくなっちゃいましたよねぇ。イエモンなんかはそのときに「いつかはここ(大阪城ホール)でワンマンをやれるバンドになります!」というような事を言っていて、「イエモンは好きだけど、それはむりじゃん?」と思っていたんですが…(^^;
1994/08/07 THE MAD CAPSULE MARKETS,SOFT BALLETと共にコニファーフォレストにて野外イベントを行う。7/31と合わせて20,000人動員。 じつはこの年の夏コミ芸能ジャンルの日の前日のライブで、翌日の夏コミはえらく辛かった覚えがあります。
1994/07/31 野外イベント「SHAPELESS」をコニファーフォレストにて行う。 遠かった…富士急ハイランド…。しかも真夏の遊園地に黒服のおねぇちゃんだらけで、凄く異様な雰囲気でした。
1993/12/31 TVK「LIVE GAGA special93」に出演。渋谷公会堂でのライブを生中継。アンコールでSOFT BALLETと「ICONOCLASM」の共演を行う。 北海道に帰省中のため、後からVIDEOでしか見ていません(TT)アンコールラストであっちゃんが「遼一は俺がもらった」とかいって遠藤さんのほっぺにちゅーしたそうです。
1993/10/21 シングル『die』発売。オリコン初登場第10位。 当時この曲をCMのタイアップソングに、と言う話も有ったそうですが、タイトルがふさわしくないという事でそのタイアップの話は無くなってしまったというエピソードが…。
1993/06/23 アルバム『darker than darkness-style93-』発売。オリコン初登場第5位。
1993/05/21 シングル『ドレス』発売。オリコン初登場第5位。 シングル曲もカップリング曲も両方ともヒデの曲で、今井FANとしてはとっても「ちっくしょ〜〜」と思ったシングルでありました(曲は結構好きなんだけど(^^;)
1993/05/20 TOUR「darker than darkness-style93-」開始。 ツアーまえに雑誌で今井さんのモヒカン頭を見て、「今井FANを続けられる自信がない…」とか思っていましたが、ライブを見て一安心。格好良かったです、今井様。(でもこのツアーの途中辺りからあっちゃんのランク急上昇!)
1992/12/02 ライブビデオ『Climax Together』発売。 この時にロッキンオン社から同時に発売された『BT8992』という写真集(というかインタビュー集というか)が、すっごく格好良くって読み物としても面白いので、BUCK-TICK関連の出版物としては一番オススメです♪
1992/09/10,11 ビデオ収録のためのスペシャルコンサート「Climax Together」を横浜アリーナにて行う。 上京して初めてのチケット取りがこの公演で、ぜんぜんっ!取れなくって一日目だけ立ち見で見ました。今井さんがギターを爆裂間違っていて(当然VIDEOには収録されていません(苦笑))、おかしかったです(^_^;
1992/03/21 アルバム『殺シノ調べThis is NOT Greatest Hits』発売。オリコン初登場第1位。
1992/03/14 殺シノ調べThis is NOT Greatest Tour」開始。 丁度私の上京時期に重なったツアーで、北海道公演は私が上京した後だし、東京公演は私が上京する前だし、ってな訳で結局一本もみれなかった悲しい思い出のツアー…(TT)あっちゃんがそうとうえっちくさくておかしかったらしいです。
1991/12/10 TOURの合間を縫って櫻井敦司・今井寿が東京九段会館で行われたDER ZIBETのコンサートにゲスト参加。 あっちゃん、憧れのアニキ(爆)との初共演。見に行った人の話によると、ものすごく二人の絡み方がえろかったらしい。…見たかった…。
1991/11/27
1991/12/9,11
スペシャルイベント「CLUB QUATTRO BUCK-TICK」を東京・名古屋・大阪のCLUB QUATTROにて行う。 多分この頃出されたビクターの企画アルバムの『DANCE 2 NOISE 001』の中で、はじめて今井さんとソフバのフジマキとのユニット『SHAFT』が結成されたような…。そしてそのアルバムにはヒデも一曲参加していました。このアルバムはイベントも行われて、今井さんもSHAFT名義で一曲だけ参加したはずです。
1991/11/21 ビデオクリップ集『BUCK-TICK』発売。オリコン初登場第1位。 LDで見るとA面とB面の差の激しいビデオ。(B面がJust〜から」始まるのです)あっちゃんなんかとても同一人物とは思えないです(笑)
1991/10/30 シングル『JUPITER』発売。オリコン初登場第8位。Victor『CDioss』のCMソングに起用。櫻井敦司のみ同CMに出演。 電気屋の友達に頼み込んでポスターをもらった覚えが(『素顔』というコピーの方)。でもあまりに大きかったのでいまだに一度も貼っていません。
1991/03/07 シングル『M・A・D』発売。オリコン初登場第4位。ビデオシングルとしても発売。オリコン初登場第1位。 このシングルの発売時、元音楽と人の市川さん司会のBUCK−TICKのラジオ番組がありまして、その時あっちゃん以外のメンバーの声を始めて聞いた私は、今井さんの笑い声でびびった覚えが…(^^;(あの「ひゃひゃひゃ」ってのです)。ついでにAngelic〜のあっちゃんの銀歯が眩しい(^^;
1991/02/21 アルバム『狂った太陽』発売。オリコン初登場第2位。 今の所私の中でのBUCK-TICKアルバム最高傑作!このアルバムの所為でもう本当にBUCK-TICKから離れられなくなってしまいました。
1991/01/21 シングル『スピード』発売。オリコン初登場第3位。 初めて『FIVE FOR JAPANSE BABIES』TOURでこの曲を聴いた時は、『女の子♪男の子♪』しかほとんど聞き取れなくって、あっちゃん気が狂ったか?!と思った覚えが…(苦笑)
1990/12/05 「5 FOR JAPANESE BABIES」体育館規模のTOUR開始。 北海道は12月23日とかだったと思うんですけど、その日は吹雪でねぇ…。しかも開演が遅れるならまだしも、開場も遅れたんですよ…。死ぬかと思いました。
1990/08/02,05 夏のスペシャルイベント「A Midsummer Night's Dream」を西武ライオンズ球場・大阪駅西コンテナヤードにて行う。 このライブ自体は見に行っていないのですが、同じ頃に北海道で行われたイベントライブでBUCK-TICKを見ました。その時のあっちゃんの衣装は膝上のブーツにエナメルの単パン!!…なのに、中にタイツも履いてやがんの…。太股見たかったなぁ…(爆)
1990/04/01 ビデオアルバム『悪の華』発売。オリコン初登場第1位。アルバム全曲をビデオで表現。
1990/03/02 「悪の華」TOUR開始。 札幌公演は4月だったのですが、ぎりぎりで友人からチケットを譲ってもらって見に行きました。でも、HR/HM体質の私にはラスト曲が『KISS ME GOOD BYE』というのは、ちょっぴり物足りないライブでした(の割に、その後もずっと通いつづけている…)。
1990/02/08 インディーズ時代のアルバム『HURRY UP MODE(1990 VERSION)』発売。オリコン初登場第1位。レコードバージョンの再発のため、CDのみに収録されていた2曲(『NO-NO BOY』『VACUUM DREAM』)に関しては未収録。 私もこの2曲は1回しか聞いたことがありませんが、あるイミすごい!インパクトのある曲です。(サビなら歌えるし(^^;)
1990/02/01 アルバム『悪の華』発売。オリコン初登場第1位。 このアルバムの一曲目『NATIONAL MEDIA BOY』を聴いてBUCK-TICKにノックアウト!されてしまいました。すんごい格好いい!し、曲調もちょっとダークな感じでものすごく私の好みだったんです。この日から私はBUCK-TICKという谷ににごろごろと堕ちて行ってしまったのでありました(^^;
1990/01/24 シングル『悪の華』発売。オリコン初登場第1位。 バイト先の有線で『悪の華』が、がんがんかかっていて、「JUST ONE MORE KISSみたいな曲は駄目だけど、この曲は格好いいなぁ」と思ってCDSを予約。ついでにアルバムの『悪の華』と『HURRY UP MODE』も予約してしまいました(^^;
1989/12/29 復活第1弾として、東京ドームで「バクチク現象」コンサートを行う。43,000人動員し、完全復活。 このころ「X」目当てで音楽雑誌を買い漁っていて、このライブの記事をみて「BUCK-TICKって随分変わったんだなぁ…ちょっと聴いてみようかなぁ」という気分になったのでした。
1989/04/21 1月の武道館ライブを収めたライブビデオ『sabbat』(2本組)発売。ギタリスト今井寿の事件により『TABOO』TOUR中止。以後半年間メンバー全員で謹慎。 実はこの今井さんの事件が新聞等で報道された時、「あぁ、これでBUCK-TICKも解散だ〜、やった〜(^ー^)」とか思ってました……。今思うとなんて恐ろしい事を考えていたんだろうと思います(--;
1989/03/22 「TABOO」TOUR開始。
1989/01/19,20 初の東京日本武道館ライブ(2DAYS)を行う(即日完売)。
1989/01/18 ロンドンレコーディング・サードアルバム『TABOO』発売。オリコンチャート第1位。
1988/10/26 シングル『JUST ONE MORE KISS』発売。テレビCM(Victor『CDian』)に使用。 この頃『CDian』の「重低音がBUCK-TICKする」というポスターではじめてBUCK-TICKという存在を知りました。が、当時ばりばりHR/HM好き好きだった私は所謂「ビートロック」といわれる音楽が嫌いで、BUCK-TICKも「ハードな格好してナンパな曲やってんじゃねぇ」とか思っていました…(^^;
1988/10/13 「SEVENTH HEAVEN」TOUR開始。
1988/09/?? 『TABOO』レコーディングのためロンドンへ。 飛行機嫌いの今井さんにはこのレコーディングはさぞかし辛かったことだろう、と推察。
1988/06/21 セカンドアルバム『SEVENTH HEAVEN』発売。オリコンチャート初登場第3位。
1988/03/21 ミニアルバム『ROMANESQUE』発売。
1988/02/21 ビデオクリップ集『MORE SEXUAL×××××!』発売。
1987/11/21 『SEXUAL×××××!』発売(ビクターインビテーション)でアルバムデビュー。
1987/09/21 ライブビデオ『バクチク現象 at THE LIVE INN』発売(ビクターインビテーション)でデビュー。(同じ日にレピッシュがCDデビュー。同期なのでいまだに仲がいいらしい(^-^))
1987/04/?? 自主制作アルバム『HURRY UP MODE』(太陽レコード)発売。また、アルバムに2曲追加(『NO-NO BOY』『VACUUM DREAM』)したCDをインディーズで初めて発売。
1986/10/?? 自主制作盤『TO-SEARCH/PLASTIC SYNDROME』(太陽レコード)発売。
1985/12/?? アラキ脱退、八神トール参加、櫻井敦司ドラムからボーカルにポジションチェンジ。現メンバーに固定、「BUCK-TICK」が誕生する。
1985/03/?? 樋口豊、星野英彦、群馬藤岡高校を卒業後、上京して専門学校に入学。 上京して専門学校に入ったのは今井さん、ヒデ、U−太の三人ですが、ちゃんと資格まで取ったのはヒデだけ(調理師免許)。でも料理が一番上手いのは今井さんらしい…(笑)
1984/03/?? 今井寿、櫻井敦司、群馬藤岡高校を卒業。今井寿は上京して専門学校に入学(でもすぐ辞める(笑))櫻井敦司は地元で就職。
1983/??/?? 今井寿宅に集ったメンバーでBUCK-TICKの前身バンド『非難GO-GO』を結成する。
この時点でのボーカルは今井寿の古くからの友人であったアラキ。櫻井敦司はドラムとして参加。八神トールは別のバンドで活動していた。
1981/04/?? 樋口豊と星野英彦が藤岡高校で同じクラスになって出会う。
1980/04/?? 櫻井敦司と今井寿が藤岡高校で同じクラスになって出会う。 神の与えたもうた運命の出会い・・・くくく(⌒ー⌒)



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